医師と患者と病院と②

前回、医師(医療者)と患者の関係を表題の著書から紹介しました。

患者の状態に応じて、「親‐幼児」「親‐年長児」「成人‐成人」は、イメージしやすい例えでした。

この関係性について、透析患者の場合を私自身の治療経過と経験から考えてみます。

☐透析治療の黎明期

日本で透析医療が臨床化されたのは、1960年代半ばと言われています。

この当時、透析医療そのものが模索状態であったこと、関連する医療機器・技術についても、現在のようの高度に進んだものではありませんでした。

一方患者についても、腎臓病特有の「沈黙の臓器」に比喩されるように、症状が出た時に初めて「腎臓が悪い」ということを知る、また、腎臓病と分かっていたとしても無理をすれば「ほぼ通常に近い社会生活」が営めるという状態で、自覚症状が出た時には末期腎不全が進行し尿毒症を呈し、意識が無くなって病院に運び込まれる患者がほとんどという状況でした。

そこで行われる透析は、患者は意識の無い状態に近く、救急処置に近いものでした。

そこには、患者の治療に対する意識は介在する余地はなく、100%受け身の姿勢であり、治療に協力する、参画する姿勢は考えられません。と言うか、「無理」です。

治療においては、されるがまま、正に「親‐幼児」の関係ですね。 この当時、意識の無くなった患者が透析を行っている途中に意識を回復していく過程を観て、透析治療の効果とその素晴らしさに感動したと回顧される医師の言葉を数多く聞きました。

治療効果そのものと、患者の回復過程を如実に観られる治療に対する確信と感動が、現在に至るまでの透析治療発展の原動力になっているとも言えるのではないでしょうか?!

私の導入時は意識が無くなるまでではありませんでしたが、もう少し遅れていれば、そうなっていたと医師から言われました。 そう言えば、ギリギリまで仕事をしていたとき、頭がフラフラして身体が後ろに引き倒される様な感覚を経験していました。

多分、あのままの生活を続けていれば、私も意識を失い緊急透析に運ばれていたのだろうと想像します。

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☐腎臓病治療の変化

現在の腎臓病治療は、「早期発見・早期治療」と継続的な治療・観察が浸透してきています。

特に近年、慢性腎臓病(CKD)の疾患概念が提唱され、透析に至らないようステージ分類に応じた継続的治療が徹底されようとしています。

その結果として、急激に重症化し救急搬送から緊急透析ということも、ほとんど事例として見られなくなりました。

継続的に治療してきていますので、その過程で透析治療についても説明を受けていますし、 透析の必要性を説明され、同意のうえで透析導入することが一般的です。

ただ、この時点で患者の意識と情報・知識量によって関係性は異なってきます。継続的治療の過程で充分に自身の疾患や治療について情報収集し学習を重ねている患者は、医療者との関係において対等とまでは言わなくても、今後の治療について、ある程度自分の考え方を持ち、相互に意見交換することが出来るでしょう。

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関係性について、「成人‐成人」に近いものであるかもしれませんが・・・。

徐々に、こうした患者が増えてきていることは歓迎すべきことですが、まだまだ、患者の意識と情報・知識が追い付いていない症例が多いのではないでしょうか?

私は述べてきたように、全く意識も知識も追いついていませんでした。

透析が必要だと宣告され、指示される通りに導入し、透析治療を開始したというのが事実です。 正に「親‐年長児」の関係でした。お任せでした。

その後、維持透析を続けるにあたって、この関係性の継続に疑問と矛盾を感じ始めます。

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