田端で迎えた誕生日

☐第2の誕生日

透析を始めた日、その日を透析者の間では「第2の誕生日」と呼んでいます。
私の「第2の誕生日」は1982年9月14日、先月で満32年になりました。ちなみに、私の「第1の誕生日」というか、「生まれた日」は9月15日で、決してそれを望んだわけではありませんが「第2の誕生日」は、24歳の誕生日の前日でした。(連日で誕生日を迎えます。祝う思いが異なりますが?!)
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☐透析生活の始まり

この日から、休むことなく、と言うか欠かすことなく週3回の透析治療を続けてきました。学生時代の私には無縁だった「皆勤賞」、もらい続ける日々がよほど長くなりました。
よく例えられるように、「雨が降ろうが、槍が降ろうが」・・・さすがに「槍」はありませんが。
最近も、2週続きでの台風上陸で苦心された方もたくさんおられると思いますが、雨・風は当たり前、地震はじめどんな災害があっても透析治療は受けなければ、次の「どちらの誕生日」も迎えることはできません。
逆に言えば、透析施設はどんな緊急時・災害時であっても透析治療を実施できる、又は他施設での治療確保等、その態勢を整えておかなければなりません。
風邪で発熱など体調不良の時の通院も辛いです。
「今日は、体調が悪いので休みます。」はあり得ないことで、むしろその原因を明らかにするためにも、しっかり透析するためにも行かなくてはなりません。
一般の外来待合室で、よく交わされる、
「今日は〇〇さんの顔が見えませんね?」
「そう、体調が悪いみたいですよ。」は、ありえないことです。
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☐悲哀から希望へ

本来、誕生日は、両親はじめ多くの人達の歓喜を誘い、本人にその意識はないでしょうが希望に満ち溢れ、祝福に包まれている時に違いありません。私にとっての誕生日も、間違いなくそうであったと想像します。
しかし、「第2の誕生日」は周囲の人達の大きな心配を誘い、何よりも本人は失意の底に落とされ、大きな不安に襲われ、
「なぜ?どうして?」「どうなってしまうのだろう?」「もう終わりだ!」
等々の繰り返しが始まります。
透析導入時の「悲哀の仕事」の始まりです。
その「仕事」を経て、或は繰り返しながら、自身の可能性を見出します。
そして、その可能性を信じて、未来への希望を繋ぎます。

その時から数えて32回目の「第2の誕生日」と56歳の誕生日を、私はここ

田端駅前クリニックで迎えました。

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