腎臓病から透析へ①

☐近所の小父さん

月・水・金曜日、それぞれ6時間は透析です。今は当たり前になっている生活パターンです。

勿論、腎臓病から始まったことです。

腎臓病ということを耳にしたのは、小学の高学年になった頃だったでしょうか?母親が、よく言っていたことで強く記憶に残っています。
近所の親戚の小父さんが腎臓病で、長い間療養されていたと。いつも浮腫んだ顔で、少し身体を動かし無理をすると体調が悪くなる、だから、なかなか仕事もすることができなかった。

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小父さんは、だんだん腎臓病が進行して・・・。
母親が成人する前のことなので、私はその小父さんのことは知る由もなく、当然、‘人工透析治療’なるものも開発されていない頃のことです。

☐父が腎臓病に

なぜ母親がそんな話を聞かせてくれたかと言えば、父親がその頃、急性腎炎と診断されて、約3カ月間自宅で療養しました。

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ほとどん布団で横になって過ごしていたことを覚えています。
腎臓病に決定的に‘効く薬’は今でもありませんが、当時は、塩分・蛋白を控える食事と安静が基本、と言うかそれ以外になく、2週間に1度程度、近所の「町医者」へ通院していました。
(田舎なので近所と言っても、車で20分程度かかるところの、今でいう「かかりつけ医」です。)

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腎臓病には「スイカがいい!」と言って、祖母が頻繁に運んでいた姿が目に焼き付いています。(余談ですが、父は婿養子だったので、祖母は、それはそれは、大事にしていました。)
よくもそんなに続けてスイカが・・・農家である自家で栽培していたからこそ、そして、療養していたのがちょうど夏だったからこそ、頻繁に運ぶことができたのだと思います。

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その祖母の手厚い「看護」と強い思いで、父親の腎炎は寛解しました。(勿論、母親も懸命に世話をしていましたが、何せ田舎のこと、父親が療養している間、田の世話をすることも大切なことでした。)

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少しばかり腎臓病のことを‘勉強’した今になって思うことは、そんなにカリウム(K)を摂って大丈夫だったのだろうか?
急性腎炎、現在で言う慢性腎臓病(CKD)のステージ2(G2)或は3初期(G3a)だったのだろうと想像します。

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そして、3カ月間べったり安静にしていたことが功を奏したのだと思います。本当にベッタリでした。食事も祖母が寝床に運び、子供ながらにも「少しくらい動けばいいのに!」と思うくらいの絶対安静状態でした。

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結果、それが良かった!その後、父親は、人並み以上に働きました。

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 ☐自身の腎臓病

父の腎臓病から10年、20歳、大学2回生の時でした。
私自身が腎臓病と診断されました。

正月明けの寒い時、風邪症状で当時の下宿近くの病院を受診、尿検査の結果、「大量の蛋白と潜血が認められ、急性の腎炎」と診断されました。

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「風邪ですね。」で、発熱もしていたので抗生剤等も含めた薬剤を処方されて帰るものと勝手に決めていました。

予期しなかった医師の言葉に戸惑い、そして「あっ、父と同じだ!」と思いました。
「すぐ田舎に帰って、専門の病院へ入院しなさい!」

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☐病院選択のためのに

医師の指示通り田舎に帰り、先ずは父親も診てもらった「かかりつけ医」を受診しました。
入院可能な専門病院といっても、自身にも、我が家にも、その情報は持ち合わせていません。
現在のように病診連携の体制がシステム化されていることもなく、「かかりつけ医」の個人的な繋がりから紹介される病院以外に選択の余地はありませんでした。
(ちなみに、「かかりつけ医」は寺院の住職でもあり、紹介された病院は、その寺院繋がりでした?!)

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結果、その後に透析導入となる病院に入院、そこで約10ヶ月間の入院生活が始まりました。この時、初めて人工透析という言葉を聞き、その治療について知りました。

これ以降、自身の治療あるいは施設を選択・決定するために、患者自身がその知識と情報を持つことの大切さを、いろいろな場面で経験します。

そして、「日本の医療」の中での患者の置かれている状況について考えるようになりました。

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