腎臓病から透析へ②

☐初めての入院

腎臓病についての情報も深い知識もなく、「かかりつけ医」に紹介された病院に入院しました。

姫路城の中濠に建つ病院でした。病室の窓からは、国宝・姫路城をいつでも仰ぎ見ることができました。
(現在は世界文化遺産、そのため城下の一部となる濠に建つその病院は移転しなければなりませんでした。まっ、濠に建っていたから、当然と言えば当然です。そもそも、なぜ濠に建てられたのか?!)
2330071951_9ccbd50682   caption

お城の傍には動物園があり、時にはそこから孔雀が飛来し、扇状に開いた美しい羽根を見せてくれることもありました。
soku_12401
父親と同じ急性腎炎の診断で、初めての入院生活が始まりました。

☐安静と腎臓病食

これと言った治療もなく、徹底した蛋白・塩分制限された腎臓食と安静でした。
(何か投薬もあったように記憶していますが、何のための薬だったか?覚えていません。)
勿論、定期的な血液及び尿検査はありました。
これなら父親と同じように自宅療養でも良かったのでは?と思いながらも、安静については、厳しく言い渡されました。当面、トイレ以外はベッドから離れないようにと。

そして、初めて口にする腎臓食、なんと味のないことか!塩分が相当制限されているということ、そして、肉と言えば鶏肉ばかりだったように記憶しています。そういう意味では「苦痛」に近かったが、「これを食べれば、良くなる!」と言い聞かせながら、ほぼ完食していました。

tokubetsu-zinzou
急性腎炎と言うものの、現在のCKDステージ分類では「3」でも後期(G3b)に近かったのではと想像します。多分、父親が療養した時の状態よりも進行していたのだと思います。

☐沈黙の臓器 -silent killer-

遺伝?と疑いしましたが、主治医からは、そうではないと。腎臓病にも、いろいろな原因と病態があり、遺伝性のものもありますが、父親と私の場合は、そうではないということでした。

当然、その時点での発病ではなく、相当以前に発症していたのでしょう。正に腎臓が「沈黙の臓器」と呼ばれる所以です。というようなことも、当時としては知識としては持ち合わせていませんでしたが。

☐病院での成人式
1月中旬に入院し安静を言い渡されていたので、成人式はベッドの上でした。(前年に20歳になっていたので。)
全く「祝・成人」の気分ではありませんでしたが。
hakama2
約2ヶ月間、厳しい安静を続けた3月中旬、大学の後期試験があったので、主治医に外泊希望を申し出た。渋々ながら、主治医は許可を出してくれました。
この時、身体を動かさないことの反動を実感しました。「足が地につかない。」とは、よく言ったものです。フワフワした感じで、歩行することの感覚すら忘れているのではと不安になるくらいでした。

街中を歩く、電車に座っている自分が、全く周りに溶け込んでいないと感じました。

train_people
最近、あるテレビ番組で「万病に‘効く薬’が注目されている!それは、毎日30分間のウォーキングである。」と医療評論家が言っていました。ランニングでもジョギングでもなく、ウォーキングだと。

family2_s
あの時のことを思い出し、納得してしまいます。

☐人工透析との‘出会い’

この入院の時、初めて人工透析という治療を知り、出会いました。
この病院が、当時ではその地域の数少ない透析施設の一つであったこと、そして同じ病室に二人の透析患者さんが入院されていました。
お一人は透析をはじめて約3年、もうお一人は始めたばかりの方でした。
1979年、全国で透析患者数が3万人を超えた頃のことです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です