透析前夜①

「腎臓病から透析へ」を3回に分けて記してきましたが、透析導入の時までを書き終えることができませんでした。
実生活で、本当に透析導入に至らないようにすることができればよかったのですが、腎臓・腎臓病に対する認識が非常に甘かったと思います。
(多くの患者さんも、その様に振り返られます。特に、私が導入した約30年以上前の患者さんは、その傾向が顕著だと思います。)

☐退院、その後

退院後、半年間、自宅での療養を続けました。
すぐに大学への復学も考えましたが、学年途中であったこと、そして、先に記した「試験外泊」の時の様に、すぐに元の学生生活に馴染めるのだろうか?という不安もありました。

退院当初は投薬もあったので、2週間ごとの通院でした。
ちょうど秋の収穫時期で、両親ともに忙しくしており、通院たびに父親に病院までの送迎をしてもらうことは気が重く感じました。
(多分、父親は負担には思っていなかったでしょう。自身も腎臓病を患った経験があり、息子のために一所懸命だったと。私自身が、もう成人なのに情けないという気持ちと、父-息子間に漂う独特の雰囲気がありましたからね。)
いきなり農作業の手伝いというのも何となく自信がなく、とは言え自宅にいて通院だけしてブラブラしているというのも、余計に気が重く身の置き場がない気持ちでした。

父親への負担も考え、何より「いずれは必要」だからということで、自動車教習所に通うことにしました。何しろ田舎のこと、自宅から教習所までは、徒歩とバスで1時間弱かかります。(今になって思えば、あの時くらいしか通うことができる時期はなかったのではないかと?)
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入院生活の後半は、散歩することがほぼ日課になっていたので、この程度の身体を動かすことは負担ではなく、ちょうどいいリハビリ感覚でもありました。
年末年始を挟んでの「通学」だったので、風邪には注意しながら約2ヶ月で教習を終え、正月明けに運転免許証を手にしました。
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その後は自力で通院することができ、少し気持ちも軽くなるとともに、徐々に体力的にも精神的に1年前、入院前の状態に戻っていっていることを感じていました。
そして、春の復学に向けて準備を始めました。

尿検査にも大きな変化はなく、腎臓は正常と思っていました。

☐大学へ戻る

復学を前に、下宿の引っ越しをしました。
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「発病」したという縁起の悪さを一掃したかったのもありますが、実は、何より暗くお世辞にも綺麗とは言えない部屋だったので。
(もう現存していないと思いますが、大家さん、ごめんなさい?!なにしろ家賃が格安でした。)

新しく引っ越した下宿は、下鴨神社に続く糺の森と賀茂川の間で、京都らしい素晴らしく環境のいい所でした。
もっとゆっくりと散策など楽しめば良かったと、今頃残念がっています。
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(ちなみに私の下宿近くは「賀茂川」で、数百メートル下流で高野川と合流し、「鴨川」となって京都市街を下っていきます。カップルが測ったような間隔で行儀よく並び、水面を眺めながら語らっている「名所」は、三条~四条間の「鴨川」河川敷です。※京都豆知識でした?!)
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下宿生活を再開してからも、最初に診察してもらった病院へ月1回のペースで通院しました。
入院・自宅療養時と同じ薬を処方してもらい、尿検査も行いました。
体調は、ほぼ以前と同じ感覚に戻っていました。意識のうえでは、まだ「気を付けなければ!」との思いは強く、出来るだけ外食は避け、塩分だけは注意しながらの食生活を心がけていました。
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疲れが溜まらないようにと、以前には考えられなかった休養を取ったりもしました。
春には賀茂川で読書をしたり、、、その頃だけが学生時代で京都という街と、季節を感じた時期だったように思われます。
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そして季節は春が過ぎ、退院からも半年が過ぎようとしていました。

 

 

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